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林貴昭経歴「情熱注ぐ名監督」瓊浦高校バド部不祥事原因は熱血指導か

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高校バドミントン界で今、最も勢いがある指導者として名をはせている長崎・瓊浦高校バドミントン部監督の林貴昭(はやし たかあき)氏。

12月14日の文春砲では、瓊浦高校バドミントン部の不祥事が取り沙汰されました。

文春が入手した動画では、選手を蹴る・頭を強く揺さぶるといった暴行をする林貴昭監督の姿が…。

本記事では渦中にいる林貴昭監督の経歴についてまとめました。

林貴昭経歴「人生をバドミントンに捧げる男」瓊浦高校バド部監督

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長崎新聞より)

2022年2月20日の長崎新聞で「高校バドミントン界で今、最も勢いがある指導者」と紹介された林貴昭監督。

林貴昭監督は2015年に長崎・瓊浦高校のバドミントン部監督に就任すると、全国大会で2位を1回、3位を4回という好実績を残し、そして今夏、インターハイで悲願の初優勝を遂げました。

林貴昭小学校は長崎市立小島小学校「バドミントンは母親の影響」

地元の小学校・長崎市立小島小学校に通っていた林貴昭少年は、経験者だった母親の影響で4年生のときに初めてバドミントンのラケットを握りました。

林貴昭少年のバドミントンの腕はメキメキと上達。才能の頭角はこの頃から現れていたといいます。

ちなみに林貴昭氏の出身中学校を調べたところ特定できませんでしたが、学区である小島中学校だったと考えられます。

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長崎市立小、中学校の通学区域等に関する規則
にゃんこ
にゃんこ

当時の小島中学校バドミントン部の実績はわからにゃかったが、

現在の実績は、6月半ばに行われた市中総体では部活動全体で振るわなかったようだにゃ

林貴昭瓊浦高校は母校「ほぼタイトル総なめ」

林貴昭氏は私立の瓊浦(けいほ)高校に進学しています。

瓊浦高校は生徒のほとんどは部活推薦で入学し、テスト前でも部活動は休みにならないほど部活動に力を入れていると言われている高校です。

ぺんぎん
ぺんぎん

3階建ての体育館にトレーニング室(ジム)があって、部活動への力の入れ具合がなんていうかもう、ヤバい(語彙力)

林貴昭氏の地元である小島小学校・中学校の学区近くの高校には、文武両道を掲げる長崎県立長崎南高校もありますが、私立の瓊浦高校への進学は、よりバドミントンを極めたいという林貴昭少年の気持ちが強さのあらわれでしょう。

高校時時代はバドミントンに打ち込み、その実力はほとんどのタイトルを独占するほどだったと言います。

当時の大会数は不明ですが、現在の長崎県高等学校バドミントン大会は14大会あることがわかりました。

長崎県高等学校バトミントン大会一覧
  1. 長崎県高等学校春季選手権大会
  2. 長崎県高等学校総合体育大会
  3. 全九州高等学校総合体育大会
  4. 全国高等学校総合体育大会
  5. KTN杯長崎県総合選手権大会
  6. 全日本ジュニア選手権大会長崎県予選大会
  7. 国体九州ブロック大会
  8. 全日本ジュニア選手権大会
  9. 国民体育大会栃木国体
  10. 地区新人大会
  11. 長崎県高等学校新人大会兼九州高校選抜大会長崎県予選大会
  12. 日本バドミントンジュニアグランプリ
  13. 全九州高等学校選抜バドミントン競技大会兼全国高等学校バドミントン競技大会九州地区予選大会
  14. 全国高等学校選抜バドミントン選手権大会

(長崎県高等学校体育連盟バトミントン専門部HPより)

ぺんぎん
ぺんぎん

3年間ずっと、ほとんど優勝だったってことでしょ?すごい!!

当時の恩師であった佐藤一司氏は、当時の林貴昭氏について次のように振り返っています。

ストイックで負けず嫌いな選手だった。最初の方の公式戦で負けて泣いたのが印象深い。高い目標を掲げ、それに向かって努力できる少年だった

公式戦で負けたのが相当悔しかったということなのでしょう、その後の林貴昭少年はストイックに努力した結果のほぼタイトル総なめなのですね。

林貴昭日体大卒業後は日本ユニシス「バドミントン世界ランク34位の実力」

瓊浦高校卒業後、林貴昭氏はさらに力をつけ、進学した日本体育大学でもバドミントン部主将を任されていました。

実業団の日本ユニシス時代には、世界ランキング34位にまで成長したものの、1996年アトランタ五輪を逃します。

1997年、長崎からの「県スポーツ専門員」オファーにより、競技選手を続ける傍ら、部活動の指導を行うことを決意。県体協(現県スポ協)職員を経て、1999年に長崎県立西陵高等学校で高校教諭になります。

部活動の指導にあたった林貴昭氏は、3年後には県総体13連覇達成(2002年~2014年)、全国大会ベスト8入り(計4回)を果たし、指導者としての頭角をあらわします。

一方で、選手としての実績も残し、日体大での後輩・西山勝也氏と組んだダブルスでは1999年全日本社会人選手権で実業団勢を抑えて優勝。国際大会も出場しました。

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1999年イタリアオープンのダブルスで準優勝した林貴昭氏(長崎新聞より)
ぺんぎん
ぺんぎん

…ん?左手薬指に指輪してるぞ?
26歳のときにはすでに結婚してたんだなぁ

にゃんこ
にゃんこ

まさに公私ともに順風満帆だにゃ

2015年、母校である瓊浦高校の監督に就任。以降7年間で全国大会の団体2位1回、3位4回、2022年には初優勝を遂げました。

瓊浦高校バドミントン部暴行不祥事「行き過ぎた教育的指導」文春砲

12月14日の文春砲で、長崎・瓊浦高校バドミントン部で林貴昭監督による日常的な暴力が報じられました。

部の関係者の証言によると、

カメラは選手のフォームの確認のために設置されました。この動画は今年1月頃に撮影されたもの。蹴られているのは部のエース・Aくんです

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選手を後ろから蹴りつける林貴昭監督(文春電子版)

21人の部員が車座で座る中、監督が両手でとある選手の髪を引っ張り、何度も頭を揺らしている動画についても

これも同時期のもの。やられているのは部の主力・Bくんです

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選手の頭を前後に強く揺さぶる林貴昭監督(文春電子版)

また別の部の関係者によると、

監督は選手をiPadで殴ったり、首を掴んで何度も揺する。それでムチ打ちになった部員もいます。パイプ椅子が投げられることもある

という証言もあります。

にゃんこ
にゃんこ

林監督はストイックで几帳面。

選手に求めるレベルは高く、気が緩んでいる選手への”激”だったのかもしれないにゃ

ぺんぎん
ぺんぎん

であっても暴力はダメでしょ

  • 林貴昭氏のスケジュール帳は、練習メニューから試合結果、普段の気付きまで丁寧な字で埋め尽くされ、常に持ち歩く几帳面さ
  • 1999年にダブルスで全日本社会人選手権で優勝したときには、毎朝学校に一番乗りして10キロ走や筋トレをこなすストイックさ
  • 指導者としては、試合でも自らの精神状態をコントロールできるようにするために、練習道具の準備や後片付け、授業態度やあいさつ、礼儀に至るまで、人としてのマナーを3年間徹底して教育し、その時々の状況に応じた行動を選手たちに常に厳しく求めていた
ぺんぎん
ぺんぎん

自分に厳しく、他人にも厳しい

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